私は子供の頃、アレルギー体質に小児喘息と身体が弱く、よく風邪を引いて親に心配をかけていました。体質改善のため、肉類と甘い物をやめて野菜中心の食生活にし、乾布摩擦に水練学校と、身体を鍛え始めました。
おかげで小学校3年生から高校3年で停学( ! )になるまで、無遅刻、無欠席。元氣になるにつれ運動が好きになり、剣道をはじめいろんな武道に親しみました。
しかし、心、氣がわからないと真の強さは得られないと考え、大学では僧職を目指すも、現実に挫折。この間、書籍を二、三千冊読破し、理屈だけは一人前でしたが、心では納得出来ていませんでした。
24才の頃、藤平光一先生の「氣の本」(現 「氣の話」)を読み、深く感銘を受け、心身統一合氣道に入門。しかし、今まで習った他の武道の経験が邪魔をし、素直に聞けず、次第に道場から遠のいてしまいました。
しかし、どうにも氣の事が知りたく、求人誌で氣の研究会 関西地区本部の事務員募集の公告を見て、父の仕事を継ぐ氣の無かった私は早速応募しました。
募集には、私を含め2名が応募していました。その時の面接の光景は、今でも鮮明に覚えています。
お話になるのは専務がほとんどで、片岡先生(当時、関西地区本部長)が一言、二言。藤平先生は全く無言でした。ただ、藤平先生の雰囲気に圧倒され、「これが本当の武道家の持つ“氣”か!」と、痛く感動しました。
採用は他の方に決定。私は不採用。後日「なぜ不採用なのですか?」と電話をしたのが、運命の分かれ道。「そんなに言うなら入れてみよう」と、28才で東京本部の内弟子となったのです。
内弟子時代は、それだけで一冊の本なるくらいのご注意、ご指導をいただきました。
分からないことがあると、なんでも藤平先生に質問させていただいたのですが、藤平先生はその全てにお答えになりました。今考えると、ものすごい貴重な体験の連続で、心から感謝の気持ちで一杯です。
4年後、大阪へ帰って独立し、光心館道場をはじめ、豊中、池田、大阪市内の5ヶ所で稽古を始めました。
2年ほど過ぎた頃、片岡先生が栃木総本部の設立準備で東京に戻られることになり、当時の内弟子出身者の内、独身で一番身軽な私が再入職の運びとなったのです。
それからあっと言う間の20年。
これからも、私がご教導いただいた「氣の道」を皆様にお伝えすべく、全力を尽くして参ります。
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光心館 館長 山本 晶一 六段
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